翻刻
《割書:りしと|いふ》慶安二年九月御使また登山して《割書:此度の|御使は 》
《割書:松平出雲守久世大和守兼松又| 四郎駒井右京五味備前守等也》高野山御制條を
下さる又其寺領の御朱印を改下さる應昌の弟
子の立詮を召出されて其師席を繼て興山寺の
住持職をなされ 東照宮御神領百石の地を以
て興山寺に新に附られ《割書:是則御神領の|はしめなり》又興山寺
領千石の內四百二十石を割て行人の上首六人
の役料とせられ《割書:行人方組頭六人と|いふ事のはしめ也》自今以後は
學侶の僧三人行人の上首二人つゝ輪番交替而
江戸に伺候すへき由を仰出さる學侶行人の爭
論凡六年にして事決す《割書:此時御條目に行人の|庭儀灌頂大曼荼羅供等》
《割書:の執行の事を禁せらるるの一條あり是により|て學侶は大きに其志を得る事を悦ひ行人は大》
《割書:きに其志を失ふ事をいきとほりて終に其爭論|やむ事なかりしといふ惜むへきの事なりきま》
《割書:た御靈屋領二百石の地を聖方の僧|大德院に御寄附も此時の事なり》
學侶行人第二度爭論の事
明曆二年十一月高野山鎭守神壇一宮遷宮の儀
あり其神宮の鑰にて學侶の僧訴狀を捧く是に
よりて行人の僧を召決せらる萬治二年八月に
至て學侶の四人《割書:實性院無量壽院|大衆院高祖院》行人の僧四人
《割書:文珠院則立詮なり見樹院則雲|堂なり蓮蕐言院實瓶院等也》追放せらる慶安
年中御使度度登山の後いくほとなく爭論に及
ふを以て也同三年七月寺社奉行より御條目九
个條を下すつゐに 神宮の鑰をは天野神主に
附らる神鑰の論とも四年にして決す《割書:此爭論は |嚴祖の御治》