翻刻
とも求め得らるへきためと見へたり《割書:甚しくし|ては慈照》
《割書:院殿の時期の天子に奏して銅錢十萬貫を賜る|へき由を申されき是等の事は我國の恥辱と申》
《割書:すへ|し》
東照宮 御代をしろしめされし初に日本朝鮮
の和議を講せられし御事は以上の事ともの
御為にはあらす文祿の初に日本朝鮮の戰起り
て其禍相逮る事七年にして太閤秀吉薨逝の後
我國の軍は還る事を得たりき蜂蠆たにも毒有
と申す事の候へは朝鮮君臣の事はいふに及は
す明の天子も其怨を我國に報せられんには東
西生靈の禍やむ時有へからさる事を思召めた
らされしによりてなり朝鮮の君臣も明の天子
のために其厄難を援られて其封内をは安堵し
けれとも明の兵猶其國に留り鎭めて其將士相
驕り國人を凌轢せし事も我國の兵禍に大かた
かはる所もなかりしかはいかにもして國人を
蘇息せん事をおもひしに
東照宮 御代をしろしめされて前代の非を改
られし事ともを傳聞又朝鮮の男女吾邦の兵の
ためにとらはれしものとも還し遣はされし所
前後三千人におよひけれはやかて兩國の和事
成て是より此かた彼國東西の民兵革の事を相
忘れしこと既に百年には及ひたり我國再造の
恩に於ては彼國の君臣長く相忘るへからさる