翻刻
所なり慶長元和の間祖宗創業の 御時に當り
て國家の 御政事務て簡易を要とせられけれ
は彼國の信使來れる時に其聘禮を講し明めら
るゝにも及はす然るに彼信使はもとより武事
に於ては其國の敵しかたき事を恥ぬれはいか
にもして文事を以て吾國に長たらむ事を爭ひ
しかとも彼使を迎られし事はもとより兩國和
好の事によりけれは其不恭の事をも咎めらる
るに及はす逐に主賓應接の事例の如くに成し
事とも有り《割書:元和の時に國書并に執政の書の事|を論し申せし事は是其文事を以て》
《割書:爭ふの一つなり或は客館に入る時に輿に乘な|から門に入或は信使自ら其國書を捧て進する》
《割書:に及はすすへて正德の時に改定められし事と|も皆皆其不恭の事ともなり然るに我國の人彼》
《割書:使を勅使と稱し甚しくしては國書の中に大明|の事を天朝と記されし類は當時文事を承れる》
《割書:人人の不學誤とも申すへき歟彼使を勅使と|しるせし事は金地院の日記にも見へしなり》
前代の御時朝鮮修聘の事あるへきによりて古
の聘禮はいふに及はす彼國にして日本國王の
使を應接の事例迄をも講し明らめられて朝鮮
信使禮待の事例を改定められまつ信使客館に
入る時門外に於て輿を下り我國の使客館に至
る時階下に迎へ送るへき禮節を以て對馬守義
方に仰下さる義方其事を以て告諭しけるに信
使其禮を爭ひて事決せす大坂に至る日に及ひ
て客館に入る禮におゐて我國の約束に從へり
吾邦の使を階下に迎送の事に於ては相爭ふ事