翻刻
太宗も使して其國に往しめられしに使臣其王
と禮をあらそひて平かならす天子の命を宣す
して還る久しく而㪅に新羅の使に附て上書せ
りといふ事見へたりこれも本朝の國史に載ら
れし所にハ同しからす日本書紀にハ舒明天皇
二年の秋唐國に使をつかハさる四年の秋本朝
の使歸る時に唐帝の使來りて五年の春其使返
るとしるされて其使と禮を爭ハれしなといふ
事見へす但し此時の唐記に唐の國書の事を載
らるるに及はさるハもし其書式無禮なりとて
受られすして還されし事もありしを異朝の書
にかくハ記されしにや《割書:日本書紀に隋帝の書來|る事ハ詳に載られしに》
《割書:唐代の書來れるや否の事載られ|さるによりてかくは存する所也》 其後聖武天皇
天平年中に唐玄宗本朝に勅せられし書の事其
國史には見へすといへとも唐の賢相張九齡の
文集并に文苑英𦶎等の書にみへたり其書にハ
勅日本國 主明樂美樹徳(スメンラミカント)としるさるこれ則張九
齡の草せし所也大國の體をも失はす隣國の禮
を失はすしてふたつなから相得たる書法とこ
そ申すへけれ《割書:是ハ本朝の遣唐使の外國に漂流|せしを天子渤海に勅而我國に送》
《割書:り歸されし時の事也よの常にハ兩朝の天子書|を相贈らるる事なしと言とも常例にあらされ》
《割書:ハ璽書をなされし事と見へたり大國の天子と|して外國の君を以て天皇と稱せられん事もし》
《割書:かるへからす又國王とのミしるされんにハ本|朝の君臣相悦はさる所なるへし爰を以て本朝》
《割書:にて天皇の御事を稱し申言葉を兼用ひてしる|されしと見へたり本朝儀制令の義解を按する》
【𦶎は華の異体字でテキストの字は草冠の下に一画あり】