翻刻
《割書:に異朝の文字に天子と記す事本朝の言葉にう|つしてハ須明樂美銜徳と讀へしと見へたり然》
《割書:らハ天子と記し主明樂美銜徳と記すも其文字|ハ替れもと其義におひてハ相同しけれハ日本》
《割書:國王としるして大國の天子外國の君に命せら|るる所の体を存し主明樂美銜徳としるして我》
《割書:國の天皇を尊ひ稱せらるの禮を存し|ふたつなから相得たる事と申へし》いくほと
なくて唐の世既に亂れしよりこのかた本朝天
皇の使かしこに行事もなく異朝天子の使こゝ
に來れる事もなく但鳥羽院元永の初に宋國の
牒狀太宰府に來れる事もありしに其書辭無禮
なりとて返牒に及はれぬ事ハ候むき又本朝公
式令の詔書の式を按するに集解にハ本朝天皇
大唐に詔書をなされし事有し由を注したりき
解にハ其由をは注せす况又桓武天皇延曆年中
遣唐大使藤原賀能朝臣唐國に至りて其福州觀
察使に贈し書に本朝の天皇異朝の天子に聘問
を通せらるるに璽書を用られし例なきよしを
記せり《割書:此書ハ釋空海の|草せしところ也》然ハ推古天皇の御時隋
帝に書を致されし事より後ハ本朝の天皇異朝
の天子に璽書をなされし事はなしと見へたり
令集解の說ハあやまれるに似たり又古の時三
韓の國國の藩王本朝の天皇に上表せし所の式
詳ならす中世よりこのかた新羅渤海高麗等の
國王奉りし所ハ皆皆その國王啓すと記して天
皇を以て稱しまいらせ本朝天皇の勅書にハ天
皇敬問其國王としるされし由代代の國史には