翻刻
に朝鮮の使來候ひしに天下諸大名の財用つ
がすして京都にむかゑらるゝ事かなふへか
らす兵庫より還さろへきなと議せられし事
も候ひき天地の運も必らす盛衰の時候によ
りて國家の財も常に贍足た事はあらす候へ
はもし今より後萬代の御間に京都の代の事
の如くなる御事も出來候はんには我邦の弱
を外國に示されん事尤以て不可然御事に候
當時吾國富強の御時に當りて 御子孫萬代
迄の御事を深く遠くおほし召めたらされて
いつれの御代迄もたやすく事行はるへき所
を議定し置候を以て國家の長策と申すへき
御事にて是のみならす候子細等ある事に候
其故は朝鮮歴代の書共を見候に大方我國を
以て彼國に臣屬せし事のことくに記し置き
甚しくしては倭酋倭奴倭賊なとしるし候事
筆を絕(たち)候はす酋とは蠻夷魁帥之稱と註し候
て夷の長を賤しみ稱候辭にて奴と云ひ賊と
申す事はきはめて人を賤しみ稱し候詞に候
其國の書共にかくの如くに記し候事は昔三
韓の國國我邦に臣屈せし事とも本朝歴代の
國史に見へ候のみにあらす異朝に於ても魏
■【晋の異体字】宋齊梁陳隋の代代の史に相見へ候事とも
にて其後我國の兵禍に苦しみ候ひし事世と