翻刻
摂津の国浪花の□□何某の先祖は黄檗の独立禅師に随ひて書を学び
しに中年よりふとせんそくの病に苦めらる禅師憐み此薬を給ひて病忽に
平愈し筆道執行成就せり禅師の名方かす〳〵あれ共此薬は玉子を以て
製する故に黄檗山に残されすと也某七ケ年以前よりせんその病をうく初
四ヶ年程は秋の末五六日の間煩ひしに五ケ年めより持病となり気候不順の
時はいつとなくおこりかたつかへたんせき強くよこにいねられずいきゝれして
歩行なりかたく食味は常よりすゝめ共次第にやせおとろへ苦めり煎薬はもち
ろん妙薬名灸薬くひましなひ其外いろ〳〵手を尽せとも其功更になし
然るに去秋八月此薬をのみてより痰せき日々に治しいきゝれやみおゐ〳〵肥立
つゐに本復せり諸人の助にも成事故たつて薬法を乞請望みの人に施し
あたへしに全快の人々謝礼に心配多きにより何とそ薬の價をきめしん
しやくなしに服用したきよし好にまかせ聊薬移の料を極め此度施薬
同様にしんし候功能はしるすに及はすのみて知給ふへし此外たんにてからた
いたみせき入候時はたへものをはきこへかれたんきれすりういんにて腹なりむねいたみ
黄水をはきからたおもくさむさをおそれ食物すゝめ共むねにつかへすへてりういんた
ん一切によし〇右何れもすきはらにさゆにてのむへし病かるきはニ包三包半劑持病と
なり三年五年の長病にても二剤或三剤にて根を切候〇禁物酒むねにもたれ候もの
其外たんの禁物は人のしる事故略す麦湯わり飯は薬力を助る故つね〳〵用て吉
一剤 弐朱
半剤 小弐朱
小包 百文
江戸永田馬場
安部家中 水原氏鑑製
□□□□【此度施薬ヵ】同様にしんし候所沢山に所望し一服を二服に致し売候ものも相聞欺ケ
敷事に候此後御望の人は拙宅へ直に取に可被遣候一剤懸目四両也病強くおこ
り候時は一日に二匁ほとかるきは一匁ツヽ順血剤にて中を補ひ候□□□□
朝五分つゝ用ひ候へは年来のりういんたんいん共自然と治し候
在番中薬所望被致候処 御城内通路不相成候故是迄左之
處にてしんし候所出立間も無之候へ共聞伝へ追々諸方ゟ取ニ被参
候に付薬残し置候尤是迄之通書付かんはん等は無之候
大坂平野橋東詰 米屋吉右衛門 同上本町一丁目わらや八兵衛
枠内
文政二己卯年
大はすむ 小はにごる
ばんじ かぎよう がなを だいじ
丸内
ひゑ
しつ薬
一切
丸下 男女 ひゑ一切請合薬 減毒散 煎薬 価二百六十銅
減毒丸 丸薬
扇印に白丸 りん病しやうかち請合薬 代百六十四銅
為弘毎月二日三日八十銅にて差出し申候
わきが一生根をきる薬 一包価六十四銅
本家 大坂伏見町中橋西へ入 伏見屋和助製 刻印篤??