翻刻
【右丁】
安詳【祥とあるところ】殿より《割書:清康主|の御事》徳川殿に至り三代につかへ奉る
永禄元年三月五日 鈴木日向守尾今川殿にそむきて
寺部の城にたてこもりし時 徳川殿今川殿の催
促によつて始て軍たゝせ給ひしかは《割書:御年十|七歳也》御家人
等大にいさみ進て城をせむ重吉まつさきに進み
攻しほとに一男般若助を初として 手のもの多く
うち死す終に城をはせめをとす義元重吉か功を
賞し寺部百貫の地を給りぬ重吉高名のふる兵
也けれは天正元年岡崎三郎殿御鎧の着初ありしに重吉
御介錯に参るべき由を仰下さる《割書:世に具足親と|申せし事也》当時の
【左丁】
面目これにすきず《割書:此年三月岡崎三郎殿足助城を|攻めくたさり給ひしときの事にや》同三年
の夏二俣の 城攻らる 重吉七十八歳にてさきかけ
して高名す 八年八月廿七日 八十三歳にして卒す
其子大隅守 重勝也これも 父に劣らぬ剛のもの長
湫の軍に高名し 慶長七年廿六歳にて大番の頭
となる同き 八年越前守に任しそのゝち大隅とは
なれる也十七年十二月廿三日上総介殿につけられて
家老となり越後国三条の城をたまひ其二男伝五郎
父か闕に補せらる 大番頭となり淡路守に任せられ
上総介殿の御事ありてのち 将軍家に 召されて