翻刻
【右丁】
元和三年下総国関宿の 城を給ひ《割書:二万六|千石》同き五年
遠江国横須賀の 城に移る《割書:本領の|まゝ》嫡子丹後守重忠
父につき元和八年出羽国上山の城に移る《割書:按するに家|忠日記追加に》
《割書:慶長七年秋松平丹後守 常陸の国大田の城にて 佐竹か家人|馬場和泉をいけとると云々おぼつかなし此丹後守にはあるべからす》
《割書:夏目か記を見るに 和泉をば|藤田能登守いけどりし也》男子なくて 小笠原兵部太輔
秀政の三男に 《割書:大御所の御|外曽孫也》 娘あわせてよつきとし 市正
重直と申す重直家継て 丹後守に任し寛永三年
摂津国三田に移り 《割書:寛永二年の事なるへし二年に蒲生中務|太輔殿へ上山の城をまいらせられし也》
同九年十月十一日豊後国龍王の地にうつる《割書:今迄は三万|石これよりは》
《割書:三万七|千石》十五年島原の城をせめ十八年十二月廿七日卒す
【左丁】
嫡子市正重頼家をつき《割書:三万二|千石》舎弟等に所領わかつ
《割書:兄の図書三千石|弟の織部二千石》正保三年正月十一日 重頼同国杵築の
城に移る嫡子 志摩守直之万治三年の十二月廿
八日叙爵す
出雲守源勝隆《割書:はしめは|忠右衛門》大隅守重勝か五男也慶長
十八年七月廿八日大番の頭となり寛永十二年十一月
に寺社奉行となり御奏者の事を兼ぬ同十六年
上総国佐貫の地を賜《割書:一万五|千石》寛文二年九月晦日
致仕入道して 覚雲と称す同き六年二月二日
七十八歳にて卒すその子山城守忠勝家をつぐ