翻刻
【右丁】
遠江国榛原郡の地を 賜ぬ《割書:二千|貫》天正九年五月武田
四郎大将朝比奈 駿河守と 戦ひ首七十余取て献す
同き十年の春三十歳にて卒したり和泉守家乗は此
真乗か嫡男童名は源次郎徳川殿の御前にて 元服し
御諱字賜り荻生の少目とす《割書:天正十五年|の事といふ》天正十八年小田原
の軍に随ひ此年上野国那波の地に移《割書:一万|石》其後和泉守に
任し関ヶ原の合戦に吉田の城を守り明れは慶長六年
正月美濃邦岩村城を賜《割書:二万|石》同き十九年二月十九日
四十歳にて卒す 其子和泉守 乗寿大坂前後の軍
に随ひ首五十三を取て献る寛永十五年浜松城に移 ̄ル《割書:三万五|千石》
【左丁】
同き十九年十二月十五日 竹千代殿の《割書:右大臣家|の御事》御家老と
なされ又従下の四位し 正保二年 正月十一日上野国
館林の城に移《割書:六万|石》侍従に歴のほつて承応三年
正月廿六日に卒ス五十一歳嫡子宮内少輔宗久家を
つぎ和泉守に成《割書:六万五千石を領す|五千石は弟に分知す》寛文元年閏八月三日
下総国佐倉城に移《割書:六万石明る二年に城に|つき二千石あつかる》延宝六年正月
廿二日肥前国唐津の城にうつる《割書:七万|石》嫡男宮内少輔乗高
寛文四年十二月廿八日叙爵
美作守源乗政は《割書:石川と|称す》和泉守乗寿か二男外戚の
名字称して石川を名のる 《割書:父乗寿か外祖は|石川長門守康通也》慶長四年に