翻刻
【右丁】
此よしを告申す一生をはすくに浜松の城にとゝめらる
へきよしを申すこれ近正か 二心なき旨をあらはし
質として子息を献たる所也 徳川殿近正か志しを
ふかく感し給ひ御刀を一生にそ給りけるそのゝち
関東に移り給ひし時 近正上野国三の倉の地を賜
《割書:五千|石》慶長五年の秋 伏見の城にとゝまつてうち死す
年五十四歳とそ聞えたる近正男子二人嫡子若狭守
一生二男五郎左衛門正善これ将監成重か父也けり一生
父につき五左衛門と申 慶長七年五月佐竹か秋田にうつ
されし時一生水戸の城を守る出国よりおちとゝまつたる佐竹か
【左丁】
家人等謀叛企て 此城をおそひとらんとす七月十日に一生に
番の兵あやしきもの一人からめ取て拷問に及ふ彼謀叛の事
悉く顕はれ此夜亥の時はかりに 凶徒 忽におそひ来る
一生を初として城を守る 人々待もうけたる事なれは互ひに
先を争てふせき戦ふ凶徒等散々に討なされて引退く群馬
丹波馬場和泉等の 張本人所々にて生捕れ一々に誅せら
れにけり明れは八年大御所将軍の宣旨かうふらせたまひし時
一生叙爵して若狭守に任す十一年五月一生飛逃て所領
没収せらる《割書:いかなる事にて候哉詳なるをはしらす又父につきて後|所領いかほとたまひしもしらすこれにて嫡流はたえしと也》
五郎左ヱ門正善別に 所領を給ふ《割書:下野国|板橋》正善死してその其子