翻刻
【右丁】
左近将監成重父につき慶長十二年に 叙爵す 大坂の
戦に首十一取て献る元和三年三河国西尾の城をたまふ
《割書:一万三千石○今まていか|ほど領せしにやしらす》同き七年丹波国亀山の城にうつる
《割書:三万三千石|領せり》同十一年成重卒す子息太郎忠晴幼なかりしかは
豊後国鶴崎の地を給て移る《割書:本領の|まゝ》成人のゝち叙爵
して左近将監に任し万治元年同国府内の城を給
《割書:本領の|まゝ》延宝四年三月廿七日致仕入道して如円【圓】と号
す其子筑前守昭重後に対馬守に成り父か譲をうけ
《割書:二万三千二百|石を領す》舎弟主計頭昭利《割書:千五|百石》仁右衛門昭政《割書:千|石》それ〳〵に
所領給りぬ《割書:父領のうち|開発の田》
【左丁】
松平 桜井 付り内膳正家廣
内膳正源家廣は出雲守殿《割書:長親|主》第二の御子内膳正
信定四代の孫はしめ信定三河国桜井の城に住子孫
桜井の松平と称しけり信定後に上野の城に移る【「り」の誤ヵ】
住その子内膳正清定其子監物家次其子与一郎忠正
世に武功をあらはし忠正に至て三河の野田長篠遠江
の懸川近江の姉川等の合戦につゐに不覚の名をとらす
天正五年七月廿日三十四歳にて死す忠正初め徳川殿
異父同母の御妹をむかへて家廣をもうけたり徳川殿関
東に移給ひし時上野国松山の城を給ひ《割書:一万|石》慶長六年