翻刻
【右丁】
二月浜松の城を給り 此とし御勘気かうふりて六月
十四日忽に自害し死す 年二十五歳よつきなけれは
家絶たり《割書:桜井の嫡流此時に断絶す按するに家老|堀勘兵衛を誅して 勘気蒙りしといふ》
左馬允源忠頼は監物家次か二男与二郎忠善か二男也
忠吉か兄与一郎忠正死して後徳川殿の 仰として
兄の妻をむかへて伊豆守 信吉 左馬允忠頼兄弟の
子もうけたり《割書:此二人の子内膳正家廣と異父同母の兄弟にて|皆是徳川殿の御外甥也又此二人の母上後に保科》
《割書:妻となり|たまひし》伊豆守 信吉は 初勘四郎と申て藤井の家を
つく《割書:別に|伝あり》二男忠頼父忠吉が家をつぐ関東にうつり
たまひし時 武蔵国八幡山の地給ひ《割書:一万|石》関ゕ原の
【左丁】
たゝかひに岡崎の城をまもり又犬山の城をまもり亦
美濃国 金山の 城をまもる 此年 慶長五年の冬
つゐに 金山の城を給ひ本領と共に合勢 領す 《割書:金|山》
《割書:一万五千石松山一万石|合て二万五千石也》明れは六年の夏浜松の城にうつる
《割書:内膳正家廣ほろひしあと|五千石を領すといふ》十四年九月関東に伺候し水野
市正か宅に酒宴して久米佐平次か ためにさし殺
さる子息等いとけなくて所領収らるゝ嫡子大膳色【職の誤用ヵ】
忠重時に七歳関東にめされ武蔵国にて所領たび
《割書:八千|石》成人のゝち元和八年上総国 佐貫の城を賜ひ
《割書:一万|石》寛永九年 田中の城にうつる《割書:二万|石》同き十一月地