翻刻
【右丁】
の雑人と信一か下部とふるきゑほし一ッをばいあふて
争論におよひ美濃尾張の軍勢一ッになつて信一か陣に
おしよす徳川家の人々是を見て 此上は力なし尋常
に戦てうち死せよやとて弓鉄炮鎗薙刀をそろへて
寄せくるかたきをまつそのいきほひにおそれてあえて
ちかつくものはなし織田殿此由を聞召につくいやつ
ばらか狼藉哉家康か 加勢こふて 給つたる 同勢と
同士軍する事やある 信長か 軍兵一人成とも信一か
陣にむかつて矢はけ打物のさやはづしたらんもの一々
にかうべはねよと以の外にいかり給へは寄手散々になつて
【左丁】
にけうせぬ信長いそき信一をめしていかに信一今度
箕作の城せめおとし又今日の狼藉をしづめられし
事あつはれなるふるまひかなせいはちいさき人なれと
胆こそ大きかりけれと感し給ふ事 なゝめならず
やかていとま給て本国にそ帰されたり元亀元年
の秋ふたゝひ織田の加勢して高名也徳川殿関東に
うつり給ひて上野国布川の地をそ領しけれ《割書:五千石一説に|つくはとも云》
関か原の戦には 関東にとゞまり 江戸崎の城を
守り明れは慶長六年二月常陸の国土浦の城給
ひ《割書:此事不審七年の|事にあらすや》伊豆守に任し同十一年五月常陸の佐竹