伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 22

ページ: 22

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【右丁】 信久父につき《割書:六万五千石をは|弟志摩守分知》延宝七年六月廿六日 大 和国郡山の城に移る《割書:八万|石》伊賀守源忠晴は 伊豆守信吉 の二男慶長十四年兄忠国同しく将軍家の御前にて 元服し御諱字賜ひ元和元年正月廿七日 叙爵す 寛永九年四月八日 御書院番頭と成同き十二年九月 六日大番頭にうつる慶安元年九月九日丹波国亀山の 城を給ひ《割書:三万八|千石》寛文七年閏二月九日致仕入道して忠山 と号し同九年三月廿三日卒す七十二歳その二男 玄蕃頭忠晴家ゆつられて後伊賀守に任ず 【左丁】     松平 長沢 右衛門太夫源正綱は 和泉入道殿の御弟備中守久親の後 胤にて甚右衛門正次の子《割書:これを長沢の松平といふ|一説に久親は信光の御子と云》実は大河内金兵衛 秀綱か二男徳川殿の 仰によりて正次のよつきになりし也 此秀綱と申は源三位入道 頼政の孫源太夫判官兼綱の 三男大河内源太 顕綱か末葉也 治承四年高倉の宮の 御事ありし時頼政兼綱うち死す源太顕綱年わつかに 二才になりしをその母むつきの中にかくして尾張 国中島といふ所におち下り又三河国額田の郡大河内 といふ所にうつり住顕綱成人の後 大河内源太と