伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 24

ページ: 24

翻刻

【右丁】 入道休心か孫金之烝久綱か嫡男 伯父正綱に 養はる 慶長九年 左大臣家 御誕生ありし時 信綱わつかに 九歳にて 若君の御家人に成る《割書:信綱童名長四郎と申す|ある時 わか君大殿の御寝殿》 《割書:の軒にすゞめすくひ子かへしたりしをこなたより御らんしてほしからせ|たまひ長四郎とりて参らせよとあり長四郎とし十一歳の時なれはいかにも|かなふまじと申て辞しけれはひるはおとろきてとびさる事もありなんすくひし|所よく見置て日暮てこなたの屋の軒にのぼりはしこしてのぼりかしこに|しのびゆきてとるべしおとなは身おもくあしをともしなん只なんちとりて|参らせよとさふらふ人のをしへしかは力なく日くれぬれははなたのやより|してつたひ〳〵ゆきすてに御寝殿の軒に至てとらんとせしにふみ|そんして御つぼのうちへとうとおつ将軍家御刀とつて障子引明ヶ|たまへは御台所ともし火とつていたさせたまひ御覧するに長四郎にて|ありしける 将軍ふしきにおほしめされて汝はなにしに爰には来り|ぬるとそ御尋ありしにけふの昼此御殿の屋の軒にすゞめの子うみたる|を見てあまりにほしさにとりに参り候と申す 将軍家いや〳〵|をのれか心にはあらし誰かはをしへけるといろ〳〵に拷問あれ共いく度も|はじめ申せし言葉にかはらず をのれ事のよしありのまゝ申さで》 【左丁】 《割書:あらそひぬる事年ころにも似ぬ不敵なれと仰られて大き成ふくろ|の中におし入て口を御手づから封したまひ柱にかけさせたまひ事の|よしありのまゝに申さすんはいつまてもかくて候へと仰けれは猶あら|そひ申事初の如し 夜すてに明てつねの御座に出させたまふ御台所|ははやく心得させたまひてかれかいとけなき心にて身のかなしさをかへり|見す竹千代君の仰なりと申ざる事をかんじたまひ 女房たちに|仰せて朝かれい急きこれたへよとて給りて又御手つからもとのことくに|ぬるせたまふて置せたまふひるのほと将軍家入らせたまひ御拷問ありし|かともつゐに詞をかへす御台所の御わひ事ありしかはさらは向後の事|をいましむへきよし仰せて御ゆるしあり将軍御台所にむかはせ給ひ|かれか今のこゝろにてをひたちたらんには竹千代殿のためにはならびなき|忠せつにてさふらはんとのたまひてことの外に悦はせたまひし也》 元和九年七月左大臣家 将軍 宣下の時 信綱叙爵して 伊豆守になる此年十二月 御小性組番頭になされ寛永 十年五月五日 家老職になる同し 十二月九日武蔵国 忍の城をそ下されける二万石を加へられて二万六千石