翻刻
【右丁】
《割書:疑ふへ|からす》筑紫小田原等の陣にしたかひ慶長五年の秋石田
等か軍起りし初池鯉鮒の宿にして加々井弥八郎 秀盛か
ためにうたれ死す年六十歳とそ聞えし嫡子なれは日向
守勝成家をつく勝成童名は 国松丸生年十六才の時
高天神の城攻られしにみづから槍取て高名し手のもの
共にも首きらせて献る 信長 此よしをつたへ聞給ひ御書
給て感せらる 成人して藤十郎と名のり 甲斐の古国府
の戦にみつから内藤の何某をうつとり星崎の城を攻し
にも父と共に軍し長鍬【湫の誤ヵ】の合戦にみつから一番に首を取
郎等三人にも 皆首取らせて御前に参られしかは
【左丁】
徳川殿御感なゝめならす此日みつから首をきる事 三ッ
そのゝち本治の城をせめ又蟹江の城の城戸口にてみかた
瀧川左近将監一益と 散々に戦ふ勝成兵を下知して横
さまにきつてかゝりしかは敵忽にやふれてけり此日みつから
も手負事二ヶ所かゝる高名度々に及しかと此人天性腹
あしき人にて父のふけう蒙て刈屋の城をおち出て都に
のほり六左衛門と名のる《割書:世につたふるは勝成ある時に和泉守殿の納|所の役人をめして我は我家の嫡子にして》
《割書:家つゐにゆつらるへき身なれは君父のもたせ給はんほとの宝こと〳〵く|我もの也をのれらも又つゐに我につかふへき身にあらすやそれにをのれらか|やゝもすれは我思ふさまに金銀まいらせぬこそ奇怪なれ向後におゐてはいか|ほどもいくたひもきつとまいらすべしとありしかはいかて仰をはそむき|候へきさりなから大殿の御ものを私にたてまつらん事 我らかつみかうふ|らんは物のかすにもあらす君の御とかめうけ給はんをはゝかりてまいらせす》
【同 頭部欄外】
勝成親父のた
めに不孝かうむ
りしは富永半兵衛
といふものゝ讒
によりし故に勢
州桑名にて富
永をきり信雄の
長島の城におは
せしを頼て行し
を親父いかつて
忠男それに候
はんには此陣を
さりて本国へ帰
へしと申けれは
こゝをさりて小牧の
御陣へ参る親父
又申所前の如し
徳川殿御陣にか
くし置れその
のち清洲の寺
の中に居れり
この時前田の
城主の信雄に
背しをうたれ
し時勝成も
はせゆきて
徳川殿の御前
にて高名し