翻刻
【右丁】
彼か手の者共の高名せしも御感にあづかる事を得ずされ
と此年七月廿日大和国郡山の城を給りしは今度の勘賞
とぞ見へにける《割書:六万|石》同き五年に西海道の鎮守のため備後
国福山の地をたまひ 城新に築てうつる《割書:十万|石》寛永三年
の秋従四位下に叙す同き十四年肥前の国有馬郡に賊徒
起りしかは追討の御使として 板倉内膳正重昌馳せむかひ
九国の軍勢をひきゐて彼たてこもる城をせむ 城いまた落さり
けれはかさねて松平伊豆守信綱をさし向らる明る十五年正月元日
重昌うち死す初め将軍家 信綱に 仰下されしは日向守
勝成はさるふる兵なれは かれら父子かむかはさらんほどはたゞ
【左丁】
遠攻にせよ軍して兵うたすへからずとありしかは信綱かし
こに至て軍をとゝめて 勝成か至るをまつ勝成わざと日
数へて二月廿二日にぞつきたりける同き廿四日寄手の人々
信綱か陣にあつまりて軍評定す戸田左門氏鉄すゝみ出
て我等仰をかうふつて候ひしにはあひかまへて兵うたする
謀をめくらして城をは攻おとせとこそ承れたゝ遠攻にして城
中の粮尽るを待給ふへくやさふらはんとそいふたりける信綱勝成に
向ひ日向守殿の御謀承度候といひしかは今天下一流の世と
なつて此奴原に力あはせんもの一人もなしなにのおそれかある
へきたゝつらをも出させすほしころして候にしくべからず