翻刻
【右丁】
事もあらずいはんやまた時はかりつくりたる雞軍したる
ためし 猶候はずかく人々功をあらそひ給はんには軍勢
多くうたれぬべう覚ゆ将軍の 仰にも兵なうたせそと
こそ侍れ凡城をせむる事みかたの心を一ッにせでは叶はぬ
事向論也けふの軍の評定は竹釘軍といふ物にてかしら
たらんものはなきに似たり 伊豆守殿追討の御使として
御下向あれは勝成か存する所此度の大将此人とこそ存すれ彼
御下知あらん事いかで背き申べき老人の長居難義也子息
美作守父か代官としてこれにとゝむ御評定一決のゝち御下知
をかれに仰かうふるべし此美作守と申男もわかき時大坂の合
【左丁】
戦にめしくせられ軍のやうをも見たるものさのみは無骨
をも存すまし御いとま申かた〳〵とて座を立てぞ帰りける
其日の評定には廿八日をもつて諸手一同に城攻やふるべき
日に定らるかゝる所に二十七日の朝人々又信綱の陣にあつ
まる鍋島すてに城中にせめ入といふほとこそあれもろ手
一同に先を争ひ上を下へとひしめく勝成はおのか陣に
あつてすこしもさはかず手勢五千を引具し子息
美作守父子か信綱か陣より帰るを待てさきかけさせ
本城に攻入て 一番に簱【国字】をそ たてたりける明れは十六
年致仕入道して 宗休と号し 年八十八歳にして