伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 36

ページ: 36

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【右丁】 事もあらずいはんやまた時はかりつくりたる雞軍したる ためし 猶候はずかく人々功をあらそひ給はんには軍勢 多くうたれぬべう覚ゆ将軍の 仰にも兵なうたせそと こそ侍れ凡城をせむる事みかたの心を一ッにせでは叶はぬ 事向論也けふの軍の評定は竹釘軍といふ物にてかしら たらんものはなきに似たり 伊豆守殿追討の御使として 御下向あれは勝成か存する所此度の大将此人とこそ存すれ彼 御下知あらん事いかで背き申べき老人の長居難義也子息 美作守父か代官としてこれにとゝむ御評定一決のゝち御下知 をかれに仰かうふるべし此美作守と申男もわかき時大坂の合 【左丁】 戦にめしくせられ軍のやうをも見たるものさのみは無骨 をも存すまし御いとま申かた〳〵とて座を立てぞ帰りける 其日の評定には廿八日をもつて諸手一同に城攻やふるべき 日に定らるかゝる所に二十七日の朝人々又信綱の陣にあつ まる鍋島すてに城中にせめ入といふほとこそあれもろ手 一同に先を争ひ上を下へとひしめく勝成はおのか陣に あつてすこしもさはかず手勢五千を引具し子息 美作守父子か信綱か陣より帰るを待てさきかけさせ 本城に攻入て 一番に簱【国字】をそ たてたりける明れは十六 年致仕入道して 宗休と号し 年八十八歳にして