伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 38

ページ: 38

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【右丁】 忠清をめされ彼父祖の事とも仰出されて累代の旧領 三河国刈屋の城をそたまふたりける《割書:二万|石》寛永九年 七月十一日同国吉田城に移る《割書:四万|石》同き十一年十月十七日 地加賜《割書:四万五千石を|領せし也》同十九年九月六日 信濃国松本城に うつる《割書:七万|石》忠清卒す《割書:卒する年|いまた聞す》嫡子出羽守忠職家をつぐ 永応【ママ 注】元年五月十六日忠職内藤帯刀忠興松平丹波 守光重と輪番交替して 大坂の城を守るへしと仰下 され《割書:これをかりの|御城代といふ》忠職か守る事まつ此年より同三年に 至るふたゝひ万治元年より二年に至り三度寛文元年 より二年に至る寛文八年六月廿六日五十六才にて卒す 【注 この年号は無し。承応の誤ヵ】 【左丁】 其子中務少輔忠直家をつぎ 寛文十年春隼人正 になる 監物源忠元は右衛門太夫忠政の四男織部正忠守の二男 也忠元年わかきより大相国家に《割書:台徳院殿の|御事也》近仕し御納戸頭を 経て《割書:此頃は|小左衛門》御扈姓組番頭に至り小十人歩行衆等の頭を かね凡三職を司りて大坂両度の軍に随ひまいらせ 大相国家西城へうつらせ給ひし時常に御側に伺候し 《割書:御近習出頭人衆と|いひしとなり》御書院の番頭を兼次第に身を起し常陸 国山川の地を領す《割書:所領いかほといふ事をしらず|又卒せし年月いかた聞す》男子二人嫡男 監物忠吉二男越中守忠久とそ申ける 監物忠善父に