翻刻
【右丁】
忠清をめされ彼父祖の事とも仰出されて累代の旧領
三河国刈屋の城をそたまふたりける《割書:二万|石》寛永九年
七月十一日同国吉田城に移る《割書:四万|石》同き十一年十月十七日
地加賜《割書:四万五千石を|領せし也》同十九年九月六日 信濃国松本城に
うつる《割書:七万|石》忠清卒す《割書:卒する年|いまた聞す》嫡子出羽守忠職家をつぐ
永応【ママ 注】元年五月十六日忠職内藤帯刀忠興松平丹波
守光重と輪番交替して 大坂の城を守るへしと仰下
され《割書:これをかりの|御城代といふ》忠職か守る事まつ此年より同三年に
至るふたゝひ万治元年より二年に至り三度寛文元年
より二年に至る寛文八年六月廿六日五十六才にて卒す
【注 この年号は無し。承応の誤ヵ】
【左丁】
其子中務少輔忠直家をつぎ 寛文十年春隼人正
になる
監物源忠元は右衛門太夫忠政の四男織部正忠守の二男
也忠元年わかきより大相国家に《割書:台徳院殿の|御事也》近仕し御納戸頭を
経て《割書:此頃は|小左衛門》御扈姓組番頭に至り小十人歩行衆等の頭を
かね凡三職を司りて大坂両度の軍に随ひまいらせ
大相国家西城へうつらせ給ひし時常に御側に伺候し
《割書:御近習出頭人衆と|いひしとなり》御書院の番頭を兼次第に身を起し常陸
国山川の地を領す《割書:所領いかほといふ事をしらず|又卒せし年月いかた聞す》男子二人嫡男
監物忠吉二男越中守忠久とそ申ける 監物忠善父に