伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 39

ページ: 39

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【右丁】 つきてのち寛永七年十二月廿六日 叙爵し 同十二年 十一月廿二日 駿河国田中の 城を賜ひ《割書:四万石|といふ》十九年九月 六日 三河国吉田の 城にうつり《割書:四万五|千石》正保二年正月十一日 同国岡崎の城にうつり《割書:五万|石》六十四歳にして延宝四年 八月二十九日に卒す其男右衛門太夫忠春父につく《割書:忠春|これよ》 《割書:りさき承応三年|十二月に叙爵す》 【左丁】    松平  久松  付 能登守定政 因幡守源康元は《割書:はしめ|勝元》久松佐渡守 俊勝か男徳川殿 には異父同母の御弟也昔尾張の守護斯波か家の被官 久松弾正左衛門菅原道定初て 当国 智多郡阿古居の庄 を領す《割書:世に伝ふる所聖廟の御末字は久松麿と申せし人此国に|流され野間の大進院といふ所にすむ所のものとも》 《割書:うやまひて久松殿とあふきしより|末孫その字をもつて家に名つくといふ》道定より六代左京進 定民一人の女子をもち家つかすべき男子なし 一色兵部 少輔源満貞か《割書:一色宮内卿阿闍梨|公深に九代の孫也》二男次郎左衛門 詮定に 娘あわせて よつぎとす 佐渡守俊勝は此詮定か五代の 末孫也俊勝はしめ弥九郎長家といふ男子一人をもうける