翻刻
【右丁】
つきてのち寛永七年十二月廿六日 叙爵し 同十二年
十一月廿二日 駿河国田中の 城を賜ひ《割書:四万石|といふ》十九年九月
六日 三河国吉田の 城にうつり《割書:四万五|千石》正保二年正月十一日
同国岡崎の城にうつり《割書:五万|石》六十四歳にして延宝四年
八月二十九日に卒す其男右衛門太夫忠春父につく《割書:忠春|これよ》
《割書:りさき承応三年|十二月に叙爵す》
【左丁】
松平 久松 付 能登守定政
因幡守源康元は《割書:はしめ|勝元》久松佐渡守 俊勝か男徳川殿
には異父同母の御弟也昔尾張の守護斯波か家の被官
久松弾正左衛門菅原道定初て 当国 智多郡阿古居の庄
を領す《割書:世に伝ふる所聖廟の御末字は久松麿と申せし人此国に|流され野間の大進院といふ所にすむ所のものとも》
《割書:うやまひて久松殿とあふきしより|末孫その字をもつて家に名つくといふ》道定より六代左京進
定民一人の女子をもち家つかすべき男子なし 一色兵部
少輔源満貞か《割書:一色宮内卿阿闍梨|公深に九代の孫也》二男次郎左衛門 詮定に
娘あわせて よつぎとす 佐渡守俊勝は此詮定か五代の
末孫也俊勝はしめ弥九郎長家といふ男子一人をもうける