伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 41

ページ: 41

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【右丁】 こそしたりけれ《割書:俊勝卒する事いつれの|年月日といふ事いまたしらす》三郎太郎勝元御諱 字を賜て 松平因幡守康元とは申せし也《割書:康元はじめ|駿河沼津の》 《割書:城を給ひしといふ説あり|詳なる事をしらす》天正十八年関東に移給ひし時下総国 関宿の城を給ひ《割書:二万|石》十九年所領の地加られ《割書:関宿のほとりに|て二万石くわへ》 《割書:られて四万|石を領す》慶長五年の秋奥へ下らせ給ふにも上方に攻 のほり給ふにも御跡にとゝまつて江戸の城を守る同八年 八月十四日 五十二歳にて卒せらる嫡子甲斐守 忠良 家をつき大坂の合戦に首 三十四をきつて献る元和 二年美濃国大柿の城に移る《割書:五万|石》寛永元年 忠良 卒してその男因幡守 延良つく信濃国小諸の城に 【左丁】 移り慶安元年に卒しよつぎなくて家絶へけりしに 明る二年正月廿八日 舎弟数馬良尚別に伊勢国長 島の城をたまひ《割書:一万|石》宗女忠節信濃国祢津の地を賜 《割書:五千|石》良尚成人して佐渡守に任す其嫡子信濃守良昌 早世し二男長門守元尚といふ男女の子猶多し《割書:此家|絶て》 《割書:継しいわれありといふ|くはしき事をはしらす》 左少将兼隠岐守 源定勝は俊勝の三男也初めは三郎 四郎と申す《割書:松平と称する事は|上に見へたり》天正十二年の冬豊臣家徳川殿 の御子を養君とし奉るべきよし望申されしかは此人を 御子としつかはさるへしと仰られしに大方殿《割書:御母上伝通院殿|と申せし御事也》