翻刻
【右丁】
こそしたりけれ《割書:俊勝卒する事いつれの|年月日といふ事いまたしらす》三郎太郎勝元御諱
字を賜て 松平因幡守康元とは申せし也《割書:康元はじめ|駿河沼津の》
《割書:城を給ひしといふ説あり|詳なる事をしらす》天正十八年関東に移給ひし時下総国
関宿の城を給ひ《割書:二万|石》十九年所領の地加られ《割書:関宿のほとりに|て二万石くわへ》
《割書:られて四万|石を領す》慶長五年の秋奥へ下らせ給ふにも上方に攻
のほり給ふにも御跡にとゝまつて江戸の城を守る同八年
八月十四日 五十二歳にて卒せらる嫡子甲斐守 忠良
家をつき大坂の合戦に首 三十四をきつて献る元和
二年美濃国大柿の城に移る《割書:五万|石》寛永元年 忠良
卒してその男因幡守 延良つく信濃国小諸の城に
【左丁】
移り慶安元年に卒しよつぎなくて家絶へけりしに
明る二年正月廿八日 舎弟数馬良尚別に伊勢国長
島の城をたまひ《割書:一万|石》宗女忠節信濃国祢津の地を賜
《割書:五千|石》良尚成人して佐渡守に任す其嫡子信濃守良昌
早世し二男長門守元尚といふ男女の子猶多し《割書:此家|絶て》
《割書:継しいわれありといふ|くはしき事をはしらす》
左少将兼隠岐守 源定勝は俊勝の三男也初めは三郎
四郎と申す《割書:松平と称する事は|上に見へたり》天正十二年の冬豊臣家徳川殿
の御子を養君とし奉るべきよし望申されしかは此人を
御子としつかはさるへしと仰られしに大方殿《割書:御母上伝通院殿|と申せし御事也》