翻刻
【右丁】
ふかく歎き給ひけれは 兄源三郎 今川殿へ質として
駿河国にありしを武田かためにうたれかろうして彼
国をのがれ出て深雪の中をふみわけて手足のゆび
皆おちて世にましはるべき身にもあらす 今また此子
都にまいらすへしともおもはすとなきくどかせたまへば
お義丸殿をそのほせらる 徳川殿これは 三郎四郎か母上
にうつたへ申せし故そとて御気色よからさりける事誠は
その心にあらされはやがて御心とけ給ひき関東へ移らせ
たまひし時下総国小南の地を領し《割書:三千|石》関東の戦に
は遠江国掛川の城を守り明る慶長六年二月此城を
【左丁】
賜ひ《割書:三万|石》此年 従五位下 隠岐守になる同き十二年《割書:閏》四月
廿九日仰を蒙りて伏見の城をまもる《割書:西城に|あり》山城近江の
国々にて便宜の地下し給ひ《割書:四万石一説に五万石 按するに家忠|日記追加には来年の事にしるせり》
掛川の城をは息男にゆつるへきよし仰下さる《割書:創業記に|出ッたゞし》
《割書:息男の名をのせす城主譜を按するに松平河内守 定行とのす|されとも創業記を案するに慶長十四年より 駿河遠江は遠|江宰相殿領したまふと 云々 おもふに 定勝朝臣 伏見をまもりし|のちは 彼嫡子遠江守 定吉 掛川をゆつられしにや定吉卒して|遠江宰相殿へまいらせられしなるべし 河内守定行にはあらし|定吉の 卒せし年をしらざれは いかに ともわかちかたし》
十九年の冬 大坂の兵起りしに伏見の城にあり明れは
元和元年の夏ふたゝひ兵起りしには二条の城を守り
子息河内守定行伏見の城を守る同き三年あまた