翻刻
【右丁】
地つけて伊勢国桑名の城を給ひ《割書:十万石また|十一万石とも》また四位の
少将に歴のぼつて 寛永三年十月四日とし六十五才
にて卒し子息河内守 定行家をつくとし九才のとき
より大御所に近仕し大坂の兵起りし時馳向て城を攻
ふたゝひ兵起しに十八歳にしてまつ伏見城をまもり
道明寺の戦に みつからの高名し明る日将軍家の御
手にて一番にくび取て参り両御所の御感に預りぬ
元和六年伊勢国長島の城を給ひ《割書:二万|石》父の朝臣卒し
て後あとをつきて桑名城に移る《割書:十万|石》此年従四位下に叙し
隠岐守に任す寛永十一年侍従に任し十月十七日伊予国
【左丁】
松山城にうつる《割書:十五|万石》明暦四年二月廿八日致仕入道し松山
と号し寛文八年十月十九日 八十二歳にて卒す隠岐守
定頼定行の 男はしめ従四位下 河内守 家ゆつられて後
隠岐守となり寛文二年正月廿三日五十六歳にて卒 ̄ス嫡
子主計頭定治病によつて籠居しけれは二男石見守定長
家をつき従四位下隠岐守になり年三十五歳にて 延宝
二年二月十二日に卒し嗣なけれは一族美作守定時か嫡男
鍋之助を養ふてよつきとす《割書:萬之助と|あらたむ》此年従五位下淡路守
に任し延宝五年《割書:閏》十二月 従四位下に叙し 隠岐守に