伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 45

ページ: 45

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【右丁】 伊勢国桑名の城にうつりて慶安四年十一月廿五日六十 歳にて卒す《割書:世につたふる所は 台徳院殿 大相国日光山へ御参詣|環御の時 下野の宇津宮の城を 仮の御座所に》 《割書:定めらる城主 本多上野介 旅の 御もうけす此人逆謀あるよし告|申人ありて 夜中ひそかに 城を御出あり御供少々めしくせられて|環御あるその時 越中守 定綱仰をかうふり御肩輿に乗て帰る|供奉の人々つねのことく 人みなまことに将軍家とおもへりそれより|してかの家の肩輿の制すこぶる 将軍家の御物に 似たりとの事|いつの頃にや またありし事にや 按するに 本多の宇津宮給りしは|元和五年也 つみかうふりしは同き八年の九月なれは此事は元和|八年の四月大御所七年の御遠忌にて日光山へ参りたまひし》 《割書:時の事|にや》その子摂津守定良家をつき明暦三年六月十八日 廿七歳にて卒し嗣なかりしかは河内守定頼の《割書:後には|隠岐守》三男 をよつぎとす 叙爵して越中守定重と申ス 美作守源定房は 隠岐守 定勝か五男也はしめ寛永二年 【左丁】 伊勢国長島の城を給ひ《割書:此時 兄隠岐守 定行 桑名の 城を領す|弟なるゆへに 定房も同国にて 城給ひ》 《割書:し|か》同き十二年十一月二十二日 伊予国 今治の城に 移る《割書:三万石|一説に》 《割書:四万石と|いふ非か》寛文五年十二月 廿七日従四位下に叙し 関東の 地をもつて所領を加給ふ《割書:此人江戸城留守の事を承りき此時|の事にや此度の加恩にて四万石を》 《割書:領せし|なり》同き九年侍従たり 延宝二年六月廿六日 致仕 入道して安心軒と号し《割書:今治と|称す》都のほとり 黒谷に こもり居て同き四年六月廿八日七十三歳にして卒す 嫡子肥前守定経早世し二男玄蕃頭定時に家譲る 此年定時美作守に任し同き四年父入道の病甚しと 聞て暇申て都にはせ上るとて路次にて卒す 四十二歳