翻刻
【右丁】
とそ聞えける定時か嫡子定直は《割書:時に鍋之助といふ|のち隠岐守》隠岐守
定長か家をつきしかは二男岩松丸父定時か家をつぎ
《割書:四万|石》同き八年駿河守に任す三男千勝丸所領をわかつ
《割書:のちに修理定道と申す|開発の田五千石をわかつ》
能登守源定政は 隠岐守定勝の六男也左大臣家に《割書:大猷院|殿の御事》
《割書:この後これに|ならふ》ちかく仕へ奉り 御扈従組の組頭となる慶安二年
二月廿八日 三河国刈屋の城を給ふ《割書:寛永十二年より 伊勢の長島|七千石を領せし 此時一万》
《割書:三千石をくはへられて二万石を領せりと寛永の日記にいつ又|一説にはしめ長島一万石を領すといふ 非なるにや》慶安
四年四月廿日 左大臣家薨しさせ給ひし後七月九日
忽に世を のかるその体すこふる狂気に似たりしによつて
【左丁】
舎兄隠岐守定行に預け らる《割書:七月九日定政をのか家に|増山弾正忠 中根大隅守》
《割書:宮城越前守 牧野織部正 石谷十蔵 林道春六人を 請し 饗応|事終てのち定政 牧野 中根 石谷三人に むかひ人々 たのみまいら|すへき事あり又のこる 人々は 定政か申す事をよくきかせ給て後日|の証人にたのみ参らするにて候 そも〳〵定政故将軍家の御恩たかく|あつくかうふつたる身の一たひは命をすてゝむくひ奉らんとそんせしに|世をはやふせさせたまへはとしころの所存むなしくなりきたとへ当代に|つかへて我忠をいたさん事をおもふとも 今 の執政の人々かたすけ|奉るやうならんには君いまた 御幼稚なり 天下みたれん事遠きに|あるへからす井伊殿阿部殿へこの事申さんかために 候とて直孝|忠秋のもとへ一封の書とり出て三人にそわたしける 人々 興さ|めて大におとろき おもひしか さてやむへき 事ならねは 掃部頭の|もとにゆきむかつて此よしを かたりてかの書を つたふ直孝一人|して見るべきにあらす とて 執政の人〳〵うちよりてひらきみる|にはしめには定政か廿歳の時より四十二歳におよふまて夢に|見たりし哥とも をしるしその次に 自詠の哥かきて おくには|定政世にありしむかしいかてかゝる事をも申へき 今ははゝかる|所なき身となりぬ おもふ所をのこすへからす尋ねたまふへき|事あらんにはめしにしたかひてまいるへきにて 候とそ書とゝめけり》