翻刻
【右丁】
家 につく天正十年の秋武田ほろび織田殿うせさせ給ひ
甲斐信濃の国々乱る家信いまだ又七郎と申て生年十
四才《割書:十三才と云|説非なり》酒井左衛門尉忠次にしたがひ信濃国に向ひ
高島の城に勝事を得て同十二年三月尾張の国羽黒
にして森武蔵守長一と戦ふかたき散々に打なたれ
て逃ゆく野呂助左衛門たゞ一人取て返して戦ふ家信
かれにわたしあひ終に首とつて徳川殿の見参に入る
徳川殿野呂はきこえし大剛のつはもの家信生年十六才
かれか首とつたると聞不審さよとおほしめす家信頓て
御前に参りて郎等かおちあふて候へはうつたるにて候
【左丁】
今日の高名全く家信か高名に あらすと申しけれは
御感もつともなゝめならす関東に移給ひし後上総国
五井を領す《割書:五千|石》関ヶ原の戦には三河国にて岡崎をま
もる慶長十五年の冬 叙爵す 元和五年 摂津の国
高槻の城を賜ひ《割書:二万石○按するに元和五年まて五井を領せしにや|又大坂の合戦に功ありし事未た詳なる事をしらす》
そのゝち従四位下し寛永十二年十月六日下総国 佐倉の
地を賜ふ《割書:四万|石》同き十五年正月四日 七十歳にして卒す
嫡子若狭守 康信父につく《割書:三万四|千石》舎弟助十郎秀勝民部
少輔氏信父か所領をわかち領す《割書:六千石を|配分す》寛文十七年九月
十日康信又高槻の城に移る《割書:三万六千石一説に一万石くわへ|られ四万四千石也 不審》慶安二年