翻刻
【右丁】
七月四日丹波国笹山の城に移る《割書:五万|石》其後 従四位下
同き九年九月廿九日致仕入道し別峯と号す嫡子
駿河守典信《割書:はしめは|大和守》父かゆつりうけてほとなく寛文十二年
十一月廿日卒しぬ年四十四歳其嫡子主膳正信利父につく
延宝四年十九歳にて卒すよつきなくして舎弟九十郎
信茲をよつぎとす信茲駿河守典信か二男也二男助十郎
信孝は一族丹後守勝信か家をつぎしによつて信茲
兄の家をつき叙爵して豊前守に任す
【左丁】
松平 深溝
主殿頭源忠利は和泉入道殿の御子源蔵人殿の《割書:親忠主|の御事》
御弟大炊助忠景四代の孫也《割書:世につたふる松平系図には和泉|入道信光第八の御子外記元芳の》
《割書:二男忠景としるしぬ家忠日記増補|追加発題のしるすところ本文のことし》忠景の子大炊助忠定
三河国岩津にあつて同国小美の米津とたゝかふ事
度々にてつゐに小美村をせめとり又深溝の城をせめ
城の大将大場をうち深溝に移り住しより世に深溝
の松平とは申けり《割書:世には深津に作り彼日記|には深溝につくる》享禄四年六月
九日に忠定卒し嫡子大炊助好景つぎ徳川殿につ
かふ弘治三年の春同国中島城をせめやふり板倉