伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(二・三) - 翻刻

藩翰譜(二・三) - ページ 7

ページ: 7

翻刻

【右丁】 弾正をうちとりその賞として中島長良西郷等の地を 下し給ふ 永禄四年東条の吉良義昭か叛きしに好景 吉良と戦ふ事度々に 此年四月 好景か嫡子 伊忠 上野の城をせむその隙をうかゝひて義昭伊忠か中島 城をおそふをきゝ好景深溝より馳来りて義昭か勢を うちやふりにくるかたきを追て善明の堤よりいづる 土呂のかたきにゆきあふて多勢の中にとりこめられ 主従三十余人枕をならべうち死す好景時に四十六歳 とそ聞えけるその子主殿助 伊忠父につぐ永禄六年 一向専修の門徒等 徳川殿に叛参らす伊忠御方に有て 【左丁】 額田の郡野羽の古城を攻やぶるそのゝち長沢の城 をまもつて武田の兵をふせぐ高名度々に および てのち長篠の合戦のとき鳶巣の 要害をせめて うち死すそのとし三十九歳なりその子主殿助家忠 家をつき天正三年吉田の城下の合戦より同十八年 小田原を攻られしに至つて度々の高名数をしらす ことし関東にうつり給ひしのち 武蔵国忍の城を 賜ひ文禄元年三月十九日 下総国上代の城に移り 又同国小美【ママ】川城にうつる《割書:一万|石》慶長五年八月朔日伏見 の城をまもりて上方の多勢と戦ひ年四十六歳