翻刻
二文 ̄ヲ_一是 ̄ノ歳穀価謄踊 ̄ス東西 ̄ノ津頭白米一斛七貫二百[文]
黒米四貫百文由 ̄テ_レ是 ̄ニ増 ̄ス定 ̄ス_二京邑 ̄ノ沽価 ̄ヲ_一とあり又百練抄
後堀河天皇寛喜二年六月二十四日甲申定 ̄ム_二米価 ̄ヲ_一斛
銭一貫文とあり又大平記に元享元年夏大 ̄ニ/旱(ひでりす)此 ̄ノ年
銭三百文を以 ̄テ粟一斗を買とあり又重編応仁記に弘治
三年五月廿三日より八月九日まで天下大 ̄ニ/旱魃(かんばつ)今年
金一両を以 ̄テ米五斗を交易□【「す」ヵ】前代未聞のことと記せり
又秋斎間語に室町殿日記を引□文あり曰御 房衆(つぼねしう)
半下衆(はしたしう)切米拾二石売払可_レ申由被 ̄レ_二仰越_一候此頃兵
庫の売買壱石に六匁三分五分の由須-伊田屋新左
衛門申候御心得可_レ有_レ之候との文にて是は天文九年の
ことなり又続草-廬雜-談を見れば古田兵部の米を売(うり)
て請取を書しに十文目 ̄ニ付一石/替(がへ)なりとの文にて是は慶
長四年卯 ̄ノ月十五日兵部判とあり又大平記の評を見
れば楠の米を買(かひ)山門に寄附(きふ)し軍餉(ぐんきやう)にも備(そな)ふ米一千二百
余石を黄金百両にて買得られたることを記せり又唐書に
玄-宗の開-元二十八年の冬米一斛に直(あたひ)三銭とあり又貞-
観政要を見れば太宗の貞-観三年の文に逐(おつて)_レ年 ̄ヲ弥豊 ̄ニ以_二【一点は誤】
三四銭 ̄ヲ_一買 ̄フ_二米一斗 ̄ヲ_一と見えたり又三代実録に官米を出して
民の貧苦を救給ふことを載(のせ)たり貞-観九-年-四-月辛-卯