翻刻
さら驚(おとろ)きてまた仙窟(せんくつ)にかへらんとすれども遂(つひに)その
道(みち)を得(え)ずして其あたりを尋ねめぐりしが両人ともに
行かた知れずなりしとなん
銀鶏云此物語はいとたはれたることにて証(あかし)とするにはたら
ねど我朝 浦島(うらしま)の古事(こじ)にも能(よく)似(に)たり又胡麻を食し
て長寿するといへることは唐土(から)にてもあることを見えた
りかゝるはなしも書籍(しよぢやく)に載(のせ)たれば絶(たえ)て其 理(り)なしと
はいはれまじ論より証拠(しようこ)といふ諺(ことわざ)もいやといはれぬ
ことにして胡麻を常に食して長寿を保ち安健(あんけん)無(ぶ)
事(じ)に世を送(おく)りし人我近く実見(しつけん)する処にして其 数(かず)
挙(あげ)てかぞへがたし一日或医に此説を解(と)きしに鼻先(はなさき)にて
あひしらひきゝだにせぬ風情(ふぜい)なれば其 侭(まゝ)口を閉(とぢ)ていはず
胡麻の効のうは年来 試(こゝろみ)たるうへにてかく記せることなれば
聊(いさゝか)も浮(うき)たることにはあらず近来 西洋学(らんがく)ひらけておのれが
如き庸医(ようい)も眠(ねふり)をさまし其徳を仰(あふ)げど実地(じつち)を踏(ふま)ざる
ことは我 是(これ)をとらずたとへば唐流(からりう)の医者其論は鈍(にぶ)しと
いへども薬が的中(てきちゆう)して病が愈(いゆ)ればそれにてよし論は
いかにもおもしろけれ共病が治(ぢ)せざれば医者(いしや)の医者
たる所以(ゆゑん)にあらず今 君父(くんふ)の仇(あだ)【注】を報(はう)ぜんとするに立派(りつぱ)
に名乗(なのり)あひて勝負(せうぶ)するには及ばす譬(たとひ)寐首(ねくび)をかきて
【注 濁点の付記の誤】