翻刻
【右丁】
さかの下(した)つち山や。日もみな口になりしかば
石部(いしべ)どまりと聞えける。にらみ一しゆ
くだ【濁点の位置は誤記と思われる。】り〳〵あしにまかせてふみまよふ
けふからうすの石部(いしへ)とまりに
これはちくさいはとはになりとものれるに
にらみはかちよりまうする、述懐(しゆつくはい)なるべし
長旅(なかたび)のやつれのうへに、さかやきもそりあ
へぬ、やせ法(ほう)し、やせ男(おとこ)、むさくさつにそつ
きにける、それよりやはせにかゝり、柴舟(しはふね)に
たよりして、湖水(こすい)のなみたゝよえる。越王(ゑつわう)辞(じ)
【左丁】
せしはんれいは【注①】、勾践(こうせん)【賎は誤記】【注②】の代(よ)となり、西施(せいし)【注➂】を我
ものとして世をのがれ、功(こう)なり名(な)とげみ【身】しり
ぞきしに、われはいまだとけぬ名に身をしり
ぞくこそ口おしけれ、せた長橋(なかはし)見わたせは
石山寺(いしやまてら)のしもく音(をと)に我耳(わがみゝ)かねのひゝ
きまて。諸行無常(しよきやうむじやう)の心地(こゝち)して。観念(くわんねん)せる
うちにこそふねは大津のうらに付つき侍
るはやみやこのそらもちかしとて、ひとり
わらひに【注④】。道(みち)のはかも行やうにこそ思はる
れ相さかをうちこえ音(をと)にきゝつゝいへ
【注① 范蠡=中国春秋時代の越王勾践の父の代より仕えた功臣。】
【注② 紀元前五世紀の初めの越の王。】
【注③ 春秋時代の越の美女で、越王勾践は呉王夫差の色好みを知って西施を献上した。呉王はその色香に迷って政治を怠り,越に滅ぼされた。】
【注④ 思い出したり、想像したりしてひとりで笑うこと。】