翻刻
し山川を経緯するあり啻に当時に功あるのみ
ならす後世士人の模範たる此二人に若くはな
し明良相遇の時といふへし
宝暦二年第二子立つ是を尚穆王と為す法司蔡
温致仕す尚傑を以て法司とす秋尚穆今帰仁王
子を正使とし小波藏親方を副使として江戸に
遣し襲封の恩を謝す六年夏清主翰林院侍講全
魁仝編修周煌を正副使として琉球に至る尚穆
出て迎恩亭に迎ふ冊使乃ち尚穆を封して中山
王とす《割書:此行全魁請テ王|文治ヲ従客トス》国王送迎の礼此に始ま
る明和元年尚穆読谷山王子を正使とし湧川親
方を副使とし将軍家治の継統を賀す七年馬国
器を法司とす《割書:沖縄志曰馬国器三司官ト為ル令|誉盎然君子ノ称アリ赫々ノ功ナ》
《割書:シトイヘトモ時人|愛敬シテ已マスト》安永二年尚穆世子尚哲を遣
して薩摩に聘問し明年春に至り還る天明二年
向天廸を法司とす六年尚穆向天廸等に命し賞
例及ひ科律を編修せしめ国中に頒布す八年八
月世子尚哲没す《割書:追尊シテ王ト称スル|コト尚純ノ例ニ同シ》寛政二年
尚穆宜野湾王子を正使とし幸地親方を副使と
し将軍家斉の継統を賀す六年《割書:乾隆五|十九年》四月尚穆