翻刻
在勤せしめたる琉球藩吏は自今引拂はせ在来
の琉球館取締等の為め小吏数名を置くは其便
宜に任すへしと又令して曰年々鹿児島へ納め
来りし貢米及砂糖は以来都て其藩役々にて取
立直に大蔵省租税寮へ上納すへしと是より先
き琉球使臣は帰藩の途次鹿児島に在ること数
月年を踰へて藩に還る伊地知貞馨根本茂樹等
も亦船を同ふして往く時に六年三月三日なり
四月国旗大小七流を琉球藩に付与し久米宮古
石垣入表与那覇五島の廰に掲示すへき旨を令
したり又改定律令二部を下付し右に基き施行
せしめ特に死以上の刑は司法省に稟請施行す
へき旨を令せり《割書:二件共ニ夫々|請書ヲ呈ス》是月琉球藩を鹿
児島県の次に列す十七日摂政三司官等政府の
旨を奉し表を呈して曰形勢一変開明の今日に
臨み各刮目の在るなり百事煩を去り簡に就き
朝旨導奉闔藩の庶民を教育すへしとの高諭謹
領深く朝旨奉戴永年違反せさるへしと伊江王
子を以て摂政と為す二十五日尚泰の謝恩書至
る其文に曰く謹て白す尚泰向に正使尚健副使