翻刻
為め少壮の輩十名余出京致さすへし云々尋て
三月三十一日琉官池城与那原幸地三名を呼出
し大久保内務卿説諭せられて曰く今般征蕃の
原由は明治四年其藩管内の島民六十余名台湾
島へ漂流土蕃の為めに殺害せられ其残暴を極
めたる始末 聞食され人民保護上捨置き難く
政府の義務たるを以て終に談判の為め公使を
清国に差し巨万の国費を出し問罪の師を出さ
るゝに及ひ幾多の将士身を瘴烟癘霧の中に投
し尸を絶域に暴せしもの鮮なからに其際に当
り清国政府意義を生しけれは更に弁理大臣を
発せられ弁論の末幸にして和議に決し征蕃の
事清国も亦認めて義挙となし将来蕃民を化育
し航客の安寧を護すへしとの旨を盟ひ彼国よ
り撫卹銀両を差出たる都合に到れり此間
聖上深く叡慮を悩まされ政府大臣諸公の苦心
如何はかりならんか是れ偏に其藩管内人民の
為めに起りたる一事なり斯くまて其藩の為め
に尽され斯る好結果を得たる事は藩王及ひ各
員は如何心得られしかと問はれしかとも琉官