翻刻
日を立て其奉命を責む藩王猶依達して遵はす
因て書記官は該藩吏等誤解又は違背の処を指
摘し及ひ大小藩吏の上京は勿論他の旅行とい
へとも内務卿に願の上出発すへき旨等を掲け
一書を贈りて帰京を告け二月四日那覇を発し
十三日帰京翌日内閣に復命せり是に於て廟議
遂に廃藩置県藩王東京住居を命するの処分に
決し政府は内務卿に命し処分方案を草せしめ
られ同年三月三日松田内務大書記官へ琉球藩
へ差遣《割書:第三|回》の命を下し十一日該藩処分条々達
書を渡されたり同時内務少書記官木梨精一郎
に県令の心得を以て事務取扱ふへき旨及警視
官派遣の命を下されたり尋て十二日横浜抜錨
の汽船高砂号を以て松田書記官一行発行に随
行の内務属官には遠藤達種田邁早瀬則敏後藤
敬臣熊谷薫郎村木良蔵西村義道荒木章蔵内務
省御用係には吉田市十郎在勤官には御用係俟
野景明以下三十二名警視官には二等警視園田
安賢以下警部巡査合せて百六十余名なり熊本
鎮台よりは分遣隊大隊長波多野少佐《割書:鹿児島分|営ニ在リ》