翻刻
薩藩琉球在番の官廨を那覇に建つ六年家久手
書を尚豊に贈り其菅地の石高を八万三千零八
十六石と定む八年九月家久其臣伊地知心悦に
命し髪を蓄へ姓名を変し装扮して琉人となり
銀両を齎らし琉使に交へ明国福州に入り通商
を為さしむ《割書:後薩藩毎年本那ノ物品ヲ航清ノ琉|人ニ付シ福建ニ於テ出売シ彼ノ帛》
《割書:布ノ類ヲ買入シム該藩称|シテ之ヲ御糸荷ト云フ》九年六月明主朱由検
戸科左給事杜三策を冊使とし琉球に至り尚豊
を封して中山王とす十月尚豊王舅鶴齢等を明
に遣し冊封の恩を謝し且貢例旧に復せんこと
を請ふ明主之を許す是より復た二年一貢の旧
に依る十年那覇波之上山権現堂失火神像烏有
に属す天願筑登之親雲上薩摩に往き更に権現
の像を請ひ再ひ之を安置す天願神道を薩摩藩
士佐藤某に学ひ秘法を得て帰り七社の祝部に
伝習す此より神道盛に行はる十一年家久南島
に係る租税簿を幕府に呈す其石高は十二万三
千七百石余なり蓋し薩藩所轄の五島及琉球諸
島をも合算せしものなり是歳尚豊佐敷王子を
以て慶賀使とし金武王子を以て謝恩使として