翻刻
読書と申事も無御座何共難義仕候又ハ能き所も
無之哉と島之内壱人弐人ツヽ申合忍ひ〳〵尋申候得ハ
道弐里程脇ニ家数七八百軒も御座候所見出シ此所
諸事仕方ニ而事通し候得ハ近寄始末相□帰国之
義も頼申候所其所に米も百石計積申候船有之□□申
其所之船ニ乗せ日本へ遣シ可申由も申候ニ付其所へ行勤
可申と存初め所ハ夜逃ニ致彼之所江十五人なから参り
我々約束致遣れ申候扨兼て約束せし百石計
積候船沖江参り支度致候故我々事も日本へ帰し
申事と嬉(ウレ)敷天ニも上る心地ニ而悦ひ申事限りなし
弥我々日本江遣シ候哉と尋候得ハいや〳〵余之所へ参り候
其方抔乗せる事成不申由にか〳〵敷申候ニ付其時我々共
申候ハ兼而約束ニ而候相違致候と島□者共にうらみ候へハ
島之者共断之□□相見申候扨又悲しき事に存右之船
三十日計も過帰り申候如何とも可致様なく島に遣われ
居申候然ル内に船頭治郎兵衛酉ノ三月頃ゟ見へ不申主人
に相尋候得ハ畑へ行しか見へ不申候由偽り□候又 楫(カヂ)取
の治右衛門も酉四月ゟ見へ不申候ふしきに存候而子供を
たうして尋候得ハ年寄候者ハ働不申候とて殺しける
と波丹之ならいにて親にても年寄候得ハ山江連行て