翻刻!江戸の医療と養生

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養気説 4巻 - 翻刻

養気説 4巻 - ページ 31

ページ: 31

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《振り仮名:香-臭|ニホヒ》を鼻(ハナ)に嗅(カギ)てこれを知(シル)も。その理(ワケ)はすべて同(オナジ)ことなり。  《振り仮名:耳-底|ミヽノソコ》に。《振り仮名:鼓-膜|コマク》とて鼓(ツヾミ)の皮(カハ)を張(ハリ)たるごときものあり。音(オト)の  此気の中を《振り仮名:伝-来|ツタへキタリ》て。この《振り仮名:鼓-膜|コマク》に中(アタル)ことは。猶(ナホ)/撥(バチ)にて鼓(ツヾミ)を打(ウチ)  て、音(オト)を発(ハツ)するが如く。其外に在(アル)ところの糸(イト)竹の音(オト)の長(ナガキ)  短(ミジカキ)/高(タカキ)/低(ヒキヽ)の節度(ホドホド)に従(シタガヒ)て。此(コヽ)に《振り仮名:激-動|ゲキトウ|ハヂキウツコト》を為(ナス)ものを。《振り仮名:意-識|コヽロ》に聴(キヽ)て  之を《振り仮名:弁-知|ワキマヘシル》なり。俱舎論(クシヤロン)にこれを《振り仮名:耳-極-微|ジゴクミ》といふは。その狭(セマ)  き耳底(ミヽノソコ)に於て。一々#1に聴(キヽ)て過(アヤマツ)ことなきは。全(マツタク)集(アツマリ)て人の《振り仮名:身-体|カラダ》  となる。《振り仮名:衆-極-微|オホクノゴクミ》の《振り仮名:所為|シワザ》にて。金石糸竹の《振り仮名:音-響|オトノヒヾキ》。人の《振り仮名:言-語|モノイヒ》。禽(トリ)  獣(ケダモノ)の《振り仮名:啼-吼|ナキホユル》。すべてこれを《振り仮名:弁-知|ワキマヘシル》ところの、《振り仮名:感-応|カンノウ|  オウ 》《振り仮名:不思議|フシギ》の器(キ)-  具(グ)なるを以てなり。これは耳のみにはあらず。すべて《振り仮名:造|ザウ|アメツチノ》  《振り仮名:化|クワ |モノヲコシラヘル》の  《振り仮名:巧-妙|コウミヤウ|タクミ  》の《振り仮名:至-精|シセイ|メニモミルコト》 《振り仮名:至-微|ビ|ナラヌコヽロノホカノコト》なることは。実(マコト)に駭(オドロク)べきがごときも  のなれども。徒(イタヅラ)に其《振り仮名:空-理|クウリ|トラヘドコロモナキコト》のみを談(ダン)じて。《振り仮名:実-則|ジツソク|タシカナㇽコト》よりこれを  明(アキラ)めざることは。決(ケツ)して其《振り仮名:徹-底|テツテイ|ソコズメ 》に到(イタリ)がたきものなり。今この  浩-然の気を養ふことの《振り仮名:功-績|イサヲシ|シルシ 》は。その小なるは。以て心を正  うし身を護(マモ)るべく。大なるにいたりては。以て天-下国-家  を治るに足(タレ)ることなるを。耳目の用。色音《振り仮名:等|ナド》の《振り仮名:瑣-末|サマツ|コマカキ》の事(コト)に

現代語訳

香りを鼻で嗅いでこれを知るのも、その理屈はすべて同じことである。 耳の奥には、鼓膜という鼓の皮を張ったようなものがある。音がこの気の中を伝わってきて、この鼓膜に当たることは、なお撥で鼓を打って音を発するのと同じく、その外にある糸や竹の楽器の音の長短・高低の程度に従って、ここに激動を為すものを、意識で聞いてこれを弁別し知るのである。俱舎論でこれを「耳極微」というのは、その狭い耳の奥において、一つ一つを聞いて間違うことがないのは、全く集まって人の身体となる衆極微の働きによって、金石糸竹の音響、人の言語、鳥や獣の鳴き声、すべてこれを弁別し知るところの、感応不思議の器具であるからである。 これは耳のみではない。すべて造化の巧妙の至精至微なることは、実に驚くべきもののようであるけれども、いたずらにその空理のみを論じて、実則からこれを明らかにしないことは、決してその徹底に到達しがたいものである。今この浩然の気を養うことの功績は、その小なるものは、これをもって心を正しくし身を護ることができ、大なるに至っては、これをもって天下国家を治めるに足ることであるのを、耳目の用、色音などの瑣末の事に

英語訳

Perceiving fragrances through the nose follows exactly the same principle. In the depths of the ear, there is something like a drumhead called the eardrum. When sound travels through this atmospheric medium and strikes this eardrum, it is just like striking a drum with drumsticks to produce sound. According to the degree of length-brevity and high-low tones of stringed and wind instruments outside, this creates vibrations here, which consciousness perceives and distinguishes as sound. The Abhidharmakośa calls this "ear-atoms" because in that narrow depth of the ear, the ability to hear each sound without error comes from the workings of the multitude of atoms that collectively form the human body - this is a miraculous instrument of sympathetic response that can distinguish and recognize the resonance of metal, stone, string, and wind instruments, human speech, and the cries and roars of birds and beasts. This applies not only to the ears. The supreme subtlety and minuteness of the Creator's ingenious craftsmanship is truly astonishing, but merely discussing empty theories without clarifying them through actual principles will never lead to thorough understanding. Now, the merit of cultivating this vast flowing qi is that in its lesser aspect, it can be used to correct the mind and protect the body, and in its greater aspect, it is sufficient to govern the realm and state. Yet to focus on such trivial matters as the functions of ears and eyes, colors and sounds...