翻刻
「右帖」
御ほふび有りける其時我にも日本
の山見覚へ有るやらんといへり我れ未
長崎の方に乗らざる由を申けり然は
尤也と云けり既(すで)に六月十六日長崎
高鉾嶋の南に当りて石火屋を
不_レ残打捨てて御番所のまへにぞ
乗り込けり今日迠日数三拾九日日本
迠の道法海上四千里といへり鏁(かないかり)を
「左帖」
入れて岡に上り我を乗せ来る由役人に
届ければ頓而【やがて】岡ゟ役人衆船に来り
荷物等迠帳面に記(ひかえ)て直に阿蘭陀が
屋敷出島にこそは上りけり其後又
出島に役人衆来りて口を問ひ裸(はだか)
にして一々改め夫ゟ立山の御奉行様
に出て今迄経(へ)廻りし所々 委(くわ)敷口上
書指上江府の御沙汰に任せらるべし