翻刻
【右丁】
御推挙有へきよし仰下され物多く賜て《割書:蜂屋郷の御刀と|御前の金御馬一疋等也》
御暇を給ひ廿七日関東をたつて九月二日又駿河に参らる
大御所又物賜事多く《割書:虚堂か筆蹟の掛軸|若狭 正宗の御刀》帰国の道すから
津の国わたりにて鷹逍遥あるへしとて御鷹御馬等を給
同十七日上洛して参議に任し明る十八年輝政病再ひ
起りて正月廿五日 五十歳にて卒す両御所御使あり
て物多く給はりぬ
侍従兼武蔵守源利隆朝臣は《割書:初名|宣隆》輝政卿の嫡男母は中川
清秀か娘也 慶長十年四月十六日 侍従兼右衛門督に任す
此年将軍家の御養女利隆の家に入らせ給ひ《割書:これ榊原式部少輔|康政の息女この時》
【左丁】
《割書:引出物として青江の御刀左文字の|御脇刀御馬二疋を玉ひしといふ》同十二年利隆 初て関東に参らる
将軍家御家号をゆるされ武蔵守になされ《割書:長光の御太刀|国光の御刀》
《割書:安吉の御脇刀|をたまふ》物多く賜て御暇給り《割書:御鷹御馬又|白銀時服等》鎌倉の跡一見
あるへしとて鵜殿兵庫を案内となさる十四年備前
国にして男子誕生すと聞へしかは牧野豊前守を御使
として父子に物賜事差あり《割書:青江の御刀俊国【「国俊」の誤ヵ】の御脇刀を|息男に時服白銀を親父に》又利隆の
北の方に備中国にて湯沐の地賜ひぬ《割書:千|石》十八年の正月利隆
関東にありしに父の参議病起りぬと聞召御暇給て国に
帰さる《割書:此時吉岡左近将監|助光の御脇刀を賜ふ》輝政卒して後播磨国をもつて
利隆にたまふ《割書:二十万石 此内宍粟佐用赤穂の郡|をは舎弟左衛門 督にわかつ》大坂の兵起らんと