翻刻
【右丁】
し後秀吉大徳寺にして葬送の儀を行われしに
信輝故殿の御乳母子たるによりて子息等常に公達と
同しく御寵愛ありしとて秀吉のやしなひまいらせし
御次丸殿と此古新二人して御棺の前後をかゝせらる
かくて長湫の合戦に入道父子秀吉のためにうたれしかは
輝政岐阜を給ひ豊臣の姓ゆるされ羽柴三左衛門尉と
なのり秀吉関白に任し給ひし時侍従にこそはなされける
天正十八年の秋北条滅ひし後三河国吉田の城に移《割書:十五万|二千石》
輝政はしめ中川清秀か《割書:瀬兵衛|尉か事》女をむかへ男子一人もふけて
その妻死す 太閤の御媒にて 文禄三年九月徳川殿
【左丁】
第二の御娘輝政の家にいらせ給ひ《割書:督姫君 北条左京太夫 氏直の|もとへいらせ給ひし御事也》
男子五人女子二人をまうけさせ給ける慶長五年秋関東の
御方として岐阜の城を攻落し南宮のかたきをうち
はらひ所々の功ありけれはことし十一月播磨国を賜
《割書:五十二|万石》同き八年五月六日備前国を加られ《割書:三十一万|五千石》二月十二日
少将にすゝみ十五年淡路国をくはへらる《割書:六万三千石余○創|業記考異政事録》
《割書:等をあはせ按するに備前をは二男左衛門督に 淡路をは 三男宮内少輔に|給はる二人成人のゝちあたふへしとなり其時左衛門督わつか五才なれは》
《割書:嫡男武蔵守備|前にあつておさむ》十七年八月十二日 輝政 駿河に来て大御所に
見参し廿二日関東にくたる将軍家に参らる年来の
病たひらきし故也将軍家御家号ゆるさせ給ひ参議の事