伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 12

ページ: 12

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【右丁】 将軍家に見参す《割書:此時中堂来の|御刀を給し也》寛永六年叙爵し慶安 二年十月五日播磨国宍粟郡を賜《割書:三万|石》六十一歳にて寛文 十一年に卒す其子豊前守恒行父につき延宝五年 正月八日卒す卒する時伊予守綱政の二男二郎三郎を 以てよつきとせん事を望請ふ御ゆるしを蒙て其家をつき 数馬と改称《割書:ス》《割書:池田と|号す》明る六年十二月廿七日早世し世継たへぬ 侍従兼左衛門督源忠継朝臣は大御所の御外孫参議輝政 二男童名は藤松丸生れて五歳慶長八年正月六日備前国 を賜同十三年将軍家にめされて元服の儀あり御家号を ゆるされ御諱字賜ひ四位の侍従になされ《割書:正宗の御刀|をたまふ》十八年 【左丁】 父参議卒て播磨の宍粟佐用赤穂三郡をわかち給ひ 本領に合せ知るまた左衛門督をかぬ《割書:これまて松平|十郎と称す》大坂軍起りし 時軍勢をひきゐ馳向て軍し両御所の御感を蒙り御暇 給ひ国に帰り程なく元和元年二月廿六日十七才にて卒す 嗣なけれは舎弟の忠雄家をつく参議忠雄朝臣これも 大御所の御外孫輝政の三男童名藤五郎七才にして舎兄 忠継と共に元服し御家号御諱字給事皆兄に同し 《割書:御刀を|賜と云》従四位下に叙し宮内大輔に任し九才にして慶長 十五年淡路国を給ひ大坂の軍起し時生年十四才軍兵を ひきゐ馳向て戦ひ明年の春忠継卒し其よつきとして