翻刻
【右丁】
将軍家に見参す《割書:此時中堂来の|御刀を給し也》寛永六年叙爵し慶安
二年十月五日播磨国宍粟郡を賜《割書:三万|石》六十一歳にて寛文
十一年に卒す其子豊前守恒行父につき延宝五年
正月八日卒す卒する時伊予守綱政の二男二郎三郎を
以てよつきとせん事を望請ふ御ゆるしを蒙て其家をつき
数馬と改称《割書:ス》《割書:池田と|号す》明る六年十二月廿七日早世し世継たへぬ
侍従兼左衛門督源忠継朝臣は大御所の御外孫参議輝政
二男童名は藤松丸生れて五歳慶長八年正月六日備前国
を賜同十三年将軍家にめされて元服の儀あり御家号を
ゆるされ御諱字賜ひ四位の侍従になされ《割書:正宗の御刀|をたまふ》十八年
【左丁】
父参議卒て播磨の宍粟佐用赤穂三郡をわかち給ひ
本領に合せ知るまた左衛門督をかぬ《割書:これまて松平|十郎と称す》大坂軍起りし
時軍勢をひきゐ馳向て軍し両御所の御感を蒙り御暇
給ひ国に帰り程なく元和元年二月廿六日十七才にて卒す
嗣なけれは舎弟の忠雄家をつく参議忠雄朝臣これも
大御所の御外孫輝政の三男童名藤五郎七才にして舎兄
忠継と共に元服し御家号御諱字給事皆兄に同し
《割書:御刀を|賜と云》従四位下に叙し宮内大輔に任し九才にして慶長
十五年淡路国を給ひ大坂の軍起し時生年十四才軍兵を
ひきゐ馳向て戦ひ明年の春忠継卒し其よつきとして