伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 13

ページ: 13

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【右丁】 備前国をたまひ大坂の軍ふたゝひ起りしには五月十日に 到着しけれは軍にはあはす明れは元和二年正月十九日 侍従になされ寛永三年参議正四位下同九年四月四日 三十一歳にて卒す其男光仲家をつき此年六月十八日 因幡伯耆を給て移る《割書:三十一|万石》寛永十九年十二月廿日 従四位下侍従相模守をかぬ承応六年十二月廿八日左少将 に任しぬ嫡男従四位下侍従兼伯耆守綱清二男九鬼和泉守 隆律長門守隆昌か養子たり三男壱岐守仲澄 侍従兼石見守源輝澄朝臣《割書:松平と|称す》輝政の四男母忠継に 同し生年十二才元和元年六月播磨国宍粟郡を賜《割書:六万|石》 【左丁】 同九年従四位下寛永三年八月十九日 侍従になされ同十七年 家人等か 争論の事起りて御勘気を蒙り 所領收公せられ 伯耆国へ流されて相模守光仲に預られ入道して石入と号し 五十九歳にして寛文二年四月十八日配所にて卒《割書:ス》男子三人 あり嫡男能登守政直《割書:松平と|称す》父か流されし時別に所領を賜ふ 《割書:佐用郡に|て一万石》寛文五年十二月十六日三十二歳にて卒す子 なかりしによつて舎弟久米助政武《割書:松平と|称す》庄左衛門尉正勝 《割書:池田と称す|三千石》二人に兄か所領を分ち給ふ 右京大夫源政綱朝臣《割書:松平と|称す》輝政の五男母忠継に同し 元和元年六月播磨国赤穂郡を給ふ《割書:五万四千|七百石》寛永三年