伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 20

ページ: 20

翻刻

【右丁】 太閤肥後国に逆徒おこりぬ 汝か嫡子左京大夫幸長 追討の使たるへしと仰下さる長政大に悦ひぬ又徳川殿に 向ひたまひ幸長いまた年若し本多を《割書:中務少|輔忠勝》副て 給へしと仰らるやかて彼逆徒国人等討て参らせけれは 軍をは出さす 長政仰を承て 肥後国にむかひ 国の政を沙汰す慶長三年八月十八日太閤薨し給 ひしに石田と長政と年頃の遺恨を散せんかため長政か 徳川殿につみかうふらんやうをはかる終には長政職を さつておのか国に 蟄居す 猶憚りあり とて武蔵の 府中にかくれすむ中納言殿かれか つみなきよし 【左丁】 しろしめし御使してつねにとはせたまひける石田等か 兵起りし時中納言殿の御供して 山道よりのほり 嫡男 左京大夫幸長此度の戦功によつて 紀伊国賜 て移る同き十一年 長政老を養ふへき料とて常陸国 真壁郡《割書:二万|石》近江国愛智郡《割書:五千|石》等の地を給ふ十三年 妻子こと〳〵く関東によひ取て つねに 将軍家に伺候す十八年に二男長晟 中国にて所 領給ふ十五年四月七日長政六十四歳にして卒す 紀伊守源幸長 長政か嫡子はしめ豊臣家につかえ 左京大夫になさる父と共に 筑紫関東の軍に