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【右丁】
太閤肥後国に逆徒おこりぬ 汝か嫡子左京大夫幸長
追討の使たるへしと仰下さる長政大に悦ひぬ又徳川殿に
向ひたまひ幸長いまた年若し本多を《割書:中務少|輔忠勝》副て
給へしと仰らるやかて彼逆徒国人等討て参らせけれは
軍をは出さす 長政仰を承て 肥後国にむかひ
国の政を沙汰す慶長三年八月十八日太閤薨し給
ひしに石田と長政と年頃の遺恨を散せんかため長政か
徳川殿につみかうふらんやうをはかる終には長政職を
さつておのか国に 蟄居す 猶憚りあり とて武蔵の
府中にかくれすむ中納言殿かれか つみなきよし
【左丁】
しろしめし御使してつねにとはせたまひける石田等か
兵起りし時中納言殿の御供して 山道よりのほり
嫡男 左京大夫幸長此度の戦功によつて 紀伊国賜
て移る同き十一年 長政老を養ふへき料とて常陸国
真壁郡《割書:二万|石》近江国愛智郡《割書:五千|石》等の地を給ふ十三年
妻子こと〳〵く関東によひ取て つねに
将軍家に伺候す十八年に二男長晟 中国にて所
領給ふ十五年四月七日長政六十四歳にして卒す
紀伊守源幸長 長政か嫡子はしめ豊臣家につかえ
左京大夫になさる父と共に 筑紫関東の軍に