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【右丁】
したかひ朝鮮に 渡つて 所々にたゝかふ太閤薨し
給ひし後石田等か父と中 不快なるを憤て軍せん
としけれとも 徳川殿の御裁断にて事しつまりぬ
父長政職をうしなひて甲斐国に下りけるにも
幸長は都にとゝまつて政所の御所を守護し参ら
せ奥の景勝中納言御退治のため徳川殿下らせ給ふ
時御跡をしたふて馳下り上方の兵起りしかは美濃
国に馳むかひ岐阜の城攻おとし関ヶ原に戦ひ多(その)【左に◦】
功もつとも多かけ【「り」の誤ヵ】けれは此年慶長五年十一月紀伊国を
賜《割書:三十九万|五千石也》従四位下に叙し紀伊守に任し年三十八歳
【左丁】
にて同き十八年八月廿五日に卒す 子なかりしかは
舎弟右兵衛佐長晟その家をつく長晟は長政か
二男にて秀頼家の昵近なりしかとのちに政所の
御方につけられて都に 住す慶長十五年大御所
長晟に備中国にて所領を給ふ《割書:二万|石》兄幸長か卒して
後其家をつき 但馬守になる 大坂の軍 起りし時
長晟大坂にむかひて 軍すその隙をうかゝひ吉野
熊野の者共 大坂の方人して紀伊国に軍起しかは
家人等うちやふつて首を献るふたゝひ兵起りしに
大坂の軍勢紀伊国にむかふこゝかしこに戦て首