伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 21

ページ: 21

翻刻

【右丁】 したかひ朝鮮に 渡つて 所々にたゝかふ太閤薨し 給ひし後石田等か父と中 不快なるを憤て軍せん としけれとも 徳川殿の御裁断にて事しつまりぬ 父長政職をうしなひて甲斐国に下りけるにも 幸長は都にとゝまつて政所の御所を守護し参ら せ奥の景勝中納言御退治のため徳川殿下らせ給ふ 時御跡をしたふて馳下り上方の兵起りしかは美濃 国に馳むかひ岐阜の城攻おとし関ヶ原に戦ひ多(その)【左に◦】 功もつとも多かけ【「り」の誤ヵ】けれは此年慶長五年十一月紀伊国を 賜《割書:三十九万|五千石也》従四位下に叙し紀伊守に任し年三十八歳 【左丁】 にて同き十八年八月廿五日に卒す 子なかりしかは 舎弟右兵衛佐長晟その家をつく長晟は長政か 二男にて秀頼家の昵近なりしかとのちに政所の 御方につけられて都に 住す慶長十五年大御所 長晟に備中国にて所領を給ふ《割書:二万|石》兄幸長か卒して 後其家をつき 但馬守になる 大坂の軍 起りし時 長晟大坂にむかひて 軍すその隙をうかゝひ吉野 熊野の者共 大坂の方人して紀伊国に軍起しかは 家人等うちやふつて首を献るふたゝひ兵起りしに 大坂の軍勢紀伊国にむかふこゝかしこに戦て首