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【右丁】
多くきつて献る つゝひて大坂にむかひ軍し又
討とる首四十二を献る 同き年七月 従四位下に昇
る将軍家の 仰をかうふり 元和二年四月七日大御所
第三の姫君をむかへ参らす《割書:御名分明ならすはしめ蒲生|秀行へいらせ たまひし御事也》
同き七年 安芸備後の国賜てうつる《割書:四十二万|二千石》寛永三
年八月九日侍従になされ同き九年九月六日四十七歳
にして卒す左少将元【ママ】晟朝臣は大御所の御外孫長晟の
嫡子父の侍従の家をつき《割書:四十七万六千|五百石 余》寛永十一年七月
十六日元服し御家号を ゆるされ御諱字を給ひ
四位侍従兼安芸守に なされ《割書:実盛の御刀を|たまひし也》左大臣
【左丁】
家の御養女をむかへまいらす《割書:実は小松中納言 利常卿の|長女左大臣家の御外姪なりし》
寛文五年十二月廿七日 左少将になさる年いまた
六十にたにみたされ共 身いたはる所 多けれは
子息に国ゆつらん事 を望み 請ふによつて同き
十二年四月十八日 御ゆるし かうふつて 致仕す
侍従綱晟 父少将のゆつりをうく はしめ承応
二年十二月廿一日元服し御諱字を給ひ従四位下
弾正大弼に任す《割書:御刀を賜ふ事|例のことしと云》寛文八年十一月廿七日
侍従になされ延宝元年正月二日 三十七歳にて
卒すその子岩松丸 家をつき 此とし九月十八日