翻刻
【右丁】
七月廿四日六十三歳にして卒す嫡子う采女正
長友家をつき延宝三年正月廿六日に卒す
三十四歳其子又一郎長矩家をつき延宝八年
十二月内匠頭に任す
【左丁】
前田 《割書:後賜松平》
中納言菅原利長は大納言利家の男也利家の父前田蔵人
利昌尾張国海東郡荒子の城を領す《割書:七千石|といふ》男子凡六人
利家は第四の男《割書:系図には嫡子|と有り不審》童名犬丸あらためて孫四郎と
名のる《割書:系図を考るに 蔵人利昌か領せし荒子の地前田と云所をさる事|わつかに十丁とのせらるしかれは住せし所によつてかくは名のりし也》
《割書:○或人のいわく菅家の御末 筑紫太宰府の 菅廟のほとり前田といふ|所に住すこれつくし前田によりて出し所也 その子孫尾張国にうつる也と》
《割書:いふ又ある人のいはくしかはあらし前田もとは藤氏なるへし 左大臣藤原|魚名等の末葉北陸道七ヶ国の 押領使越前の追補使 斎藤越前権介為頼》
《割書:か後六原の奉行人斎藤伊予房【属】玄基か孫前田孫四郎利世か孫にあらす|や玄基か事大原記等にみへたりと云其家につたへぬ事外より論すへきにあらす》
童なりしより織田殿につかへ奉り年十四歳にて軍に随ひ
高名を顕す《割書:此事一説に弘治二年の事といふかし又天文二十三年の事と云|不審利家十四歳の時なと は 天文二十年 なるへし》