翻刻
【右丁】
攻おとす十年 能登国石動山の敵をうちほろほし
十一年の春利家父子柴田にくみして羽柴筑前守秀吉
をうたんと近江国に発向し四月廿一日志津か嵩の戦やふれ
しかは利家府中の 城に引かへす 勝家やかて 府中に落
来る利家父子に 対面し湯漬とふてくひ疲たる馬一疋
たふへしとて打乗りて出利家道の 程送り参らせんと打
出る勝家かたく辞して立別る 又利家を呼返しわ殿
羽柴と年頃のよしみ有けふよりは勝家との盟をすて
わ殿家のためはかり給へといひ捨て北庄へ赴く秀吉
続て北庄を攻おとせは勝家腹切て死す秀吉また
【左丁】
利家を頼て加賀の国平らけ其賞として石川河北二郡
をあたへ御山の城を守らす 《割書:御山は今の|金沢の城也》かくて利家加賀
能登の境末森といふ所に城郭をたまふ佐々内蔵助
成政《割書:越中に|あり》北畠殿の御方としてまつ末森をうたんとす
利家やかてうしろまきし成政も引て帰るいくほとなくて
能登国平らきぬ秀吉此よしを聞能登は《割書:三十三万|三千石》みつから
したかへし国なれは秀吉か参らするに及はす知行せらる
へき事勿論也其賞なとかなかるへきそとて叙爵させ
我名字をも官をも譲て 羽柴筑前守となのらせ子息
もおとらぬ人なれは同しく名字まいらするとて叙爵させ