翻刻
【右丁】
羽柴肥前守になさる《割書:今まて孫四郎|初利勝と云》是秀吉の家号給ひし
初也《割書:菊桐の紋をも|たまふといふ》同十三年の秋秀吉佐々をせめくたし
越中国三郡を割て利家是を領せん事一両年そのゝちは
子息利勝に譲るへしとて賜ふと也《割書:利長はしめ越中|侍従といひしは此故か》十四年
島津かうたれし時子息肥前守関白殿に随て向ふ十六年
の春右少将になされ十八年の春参議従四位下ことし
の夏北条を亡されしに北国に攻下り爰かしこの城を
攻おとす文禄のは初より朝鮮の軍起り肥前国名古屋
に陣し同三年夏従三位権中納言慶長二年三月十一日
大納言に転し家司二人任官す《割書:高畠織部|中川清六郎》同き三年太閤
【左丁】
薨せしか兼て利家を以て若君の傅と定め【「ら」脱ヵ】れしかは
天下の倚頼当世の権威此人にならふ者なし明る四年春
豊臣家の奉行等此人の威をかりて徳川殿失はんと謀る
利家徳川殿と間快からす細川越中守忠興利家にしたしけれは
氏郷かれらにたはかられて家滅さん事を歎きさま〳〵に教訓
す利家頓て事の情を察し 徳川殿によしみむすはんとて
我病たすけて大坂の城より伏見の御館に参らる徳川殿
も又利家の病日々に重しと聞召 彼大坂の家にいたりて
とはせ給ひしかは利家悦ひにたへす子息等か事ふかく
頼申て《割書:閏》三月三日 六十二歳にて 卒す従一位を贈ら